「『生まれ変わりたい』と思わせたアトピー」 井口大雅 5歳
母親 井口あゆみ 2004年1月10日
<大雅の異変>
生まれて何もアレルギーの兆候はなく育ってきた大雅。2歳10ヶ月の夏、義妹の家に泊まりに行った時に大雅に異変が起こりました。義妹の家に着いたその夜、大雅の顔が赤らんでいるのに気づきました。
おかしいな?と思いながら就寝、翌朝になると大雅の体は赤くなり、痒がるようになりました。
それからあれよあれよという間に大雅の肌はカサカサしてゆき、今思うと、それはアトピー特有の症状が出てきました。
<皮膚科に通院>
すぐに治るだろうと、とりあえず皮膚科に連れてゆきました。医者の診断は「湿疹」でした。処方されたのはもちろんステロイドでした。ステロイドの恐ろしさは十分に分かっていましたが、一時的な皮膚の炎症であればステロイドを使用するのは悪くはないと思っていた私は、大雅にステロイドを塗りました。
ステロイドを常用するのは避けたかったので、数回塗布した後に大雅の肌はきれいになったので、何も塗らずに過ごしました。3ヶ月経った頃、また大雅の肌はカサついて今度はつっぱり、切れたような症状になりました。「アトピーじゃないのかな・・・」という私の不安。
再度、皮膚科に行き、「乾燥肌」という診断を受け、またステロイドを数日塗布しました。すると3ヵ月後、また同じ症状になってきました。この3ヶ月ターンの皮膚科通院とステロイド塗布を5回ほど繰り返しました。気がつくと3ヶ月ターンのものが1ヶ月ターンになっていました。ステロイドは2番目に強いものを処方され、抗アレルギー剤という名の粉薬まで処方されるようになりました。
「アトピーでは?」と思い皮膚科の医者に尋ねましたが「違います」の一点張り。
この頃私はもうこの医者の言葉は信用性などなく、自分が思い続けてきた「アトピー」が確信に変わっていました。
<大雅をもう一人産んで!>
大雅、4歳9ヶ月。「これを塗ったらお母さんが治るからって」と言ってステロイドを塗る大雅。
毎日毎日、私や主人・妹の肌を凝視し、触り、うつむく大雅。ある日、大雅が私にこう言いました。
「お母さん、大雅な、こんなボロボロの大雅はもうイヤやから、キレイな大雅をもう一人産んで。」
その言葉を聞いた瞬間に、私は大きなショックを受け、後悔をしました。
今までの治療が良くないと思いながらステロイドを塗り続けた私は恥ずかしい。なかなかこういうことを言わない大雅にここまで思わせてしまったなんて。。。
そこで私は脱・ステロイドを決心し、脱・アトピーも決心したのでした。
子供の信じるものは親だけなのです。子供はステロイドを信じて親の手によって塗られているのではなく、その親の手を、親自身を信じているのです。だからこそ私の手によって私によってこの子をアトピーと永遠に切り離してあげようという強い思いが生まれたのだと思います。
<松本医院に行くきっかけ>
どうしたらいいんだろう?と思いながらその翌日、私が通う針灸院の先生にそのことをたまたま話した時に松本医院の存在を知りました。早速家に帰って調べてみるとその日は休診日。翌日に早速大雅を連れて松本医院を訪れました。病院内に入って、座って初めて「あっ・・・導かれるように何の疑いも無くここへ来たけれど、大丈夫なんだろうか?」と思いました。松本先生にお会いすると「はい、アトピー」と短い一言が返ってきました。HPを見ても何だか「絵に描いた餅」状態でも、とにかく疑いを持ったまま、治療を始めることにしました。
<漢方治療スタート:2003年7月下旬>
「大雅、お母さんがちゃんと今の大雅をキレイにしたるからな。大雅も頑張るんやで。」
家中のステロイドをゴミ箱の中に思いっきり投げ捨て、いよいよ治療がスタートしました。2003年7月のことでした。子供が3人いる私にとってこの治療は大変に感じました。とにかく痛がる消毒液、そして1時間の夏場の長風呂。そして漢方液と赤い軟膏の塗布。長風呂の途中で冷たい飲み物やチューチューを差し入れして乗り切りました。最初は強気で頑張っていた大雅も治療1週間後、「もうこんなお風呂いっぱい入るのイヤや」と言い出しました。私ももうなだめることはぜずに「ほんならボロボロのままの大雅でええんか?」と言いました。すると黙って目に涙を浮かべながらまたお風呂につかるのです。
昼間は保育園に行っているので、昼は保育園で消毒液→シャワー→軟膏のコースを毎日して頂きました。
<治療1ヶ月後:2003年8月下旬>
治療スタートから1ヶ月が経ちました。当初部分的にしかアトピー症状が出ていなかった大雅の体中に小さなプツプツがぶわぁーっと出てきました。夏場だったということもあって、保育園でプールもあり、大雅の体はみんなの目にさらされることになっていました。保育園の先生の言葉のおかげもあって保育園児の中には誰一人大雅を中傷する子供はいませんでした。それどころか保育園児は大雅が治るのを応援してくれ、大雅もにこにこしながら過ごしていました。たまに「大雅くんどうしたの?」と他の保護者に聞かれると、「大雅な、今こんなんやけど治るねんで。お母さんがそう言ってた。」と返していたといいます。やはり子供が信じるものは親なのだと私にも気合いが入りました。消毒や軟膏を塗る私の手には何のためらいもありません。ステロイドを塗るのも漢方薬を塗るのも同じ私の手ですが、手間のかかるこの作業も今や喜びに満ちていました。
大雅のアレルギー源はハウスダストとダニです。8月の中旬にお友達の家に行った時、到着後1時間くらいして大雅がひどく痒がり、あっという間に体中が真っ赤になりました。夜中に痒くて睡眠をちょくちょく妨げられていた大雅でしたが、その日以来痒みによるその睡眠妨害は激しくなり、毎晩アイスノンを片手に眠っていました。「掻いてもいいよ」と言っても掻くことに抵抗があるんでしょう。
大雅の強い意思でなるべく掻かずにアイスノンで冷やすことのほうが多かったように思います。9月に入って間もなく、朝起きた大雅の布団のシーツにポロポロと茶色い皮膚が付いているのに気づきました。それからはおもしろいように茶色い皮膚がはがれ、大雅の肌はキレイになってゆきました。
<治療2ヶ月半後:2003年10月中旬>
10月中旬の5歳の誕生日を迎える時には、誰もアトピーだとは思わないような肌になっていました。
私の念願であり、大雅の願いであった「毎日石鹸で体をゴシゴシ洗う」ことができるようになっていました。もうほんとにゴシゴシなのです!
疑い疑い疑いながら続けたこの治療、「病は気から」とも言いますが、治療法は正直でした。疑いながらも真面目に続けた治療は成果を現したのですから。(先生ごめんなさい)
「5歳になったら血液検査しましょう」と言った松本先生ももとへ誕生日の翌日伺いました。見た目は完治しているようでしたが、血液検査の結果は通常の値より遥かに高いものでした。そこから漢方風呂は2日に1回のペースで様子を見るように指示され、今に至っています。
<現在:2004年1月初旬>
肌の様子は良いままで、とても白い肌です。血中アレルギー値が通常に戻るまで、お世話になります、松本先生!
