「アトピー手記」(中間報告)篠原 孝幸 35歳
2008年5月30日
ステロイドとの闘いが始まったのは平成17年春ごろからでした。幼少の頃からアトピー性皮膚炎と診断されて、母親に連れられて皮膚科に通う白々だったそうです。今、思うとそのときからステロイド?だったのです。
中学生から高校生になっても汗をかくとやはり痒く辛かった様に思います。
社会人になると塗薬はたまに皮膚科に行き時間のない時は薬局で市販の薬を購入していました。症状がひどくなってきたのは、32歳ごろ生活変化と、ストレスによるもので全身に及びました。飲み薬と、塗り薬を毎日処方されるがままにしていましたが、症状が治まることもなくひどくなっていきました。そして結局春から半年位で病院を3 4箇所変えて診察を受けましたが何処も同じステロイドでした。時には布団が悪いと言われ板の間で寝た事もありましだ。そのころには、仕事場で顔や首が赤く腫れ上がって周りの人から沢山のアトピーの治療方法を聞き教えてもらい、その中に松本医院があり、自分でもパソコンで調べてみて一度行ってみようと思ったのがはじまりでした。
医院の近くに来ると漢方薬の臭いがし待合室には、すごい数の患者さんがいましを。診察室に入り先生から言われた言葉は「必ず治してあげる」でした。この先生を信じて治療を受けよう、アトピーを治したいと思いました。
まず最初に頂いた薬は、勿論漢方の煎じ薬.漢方の入浴剤、消毒液、抗生剤の軟膏、紅い軟膏、抗生物質の飲み薬等、すごく沢山の薬でした。家に持ち帰りどうして使うのか説明を嫁と一緒に見ながら1つ1つやりました、それは手間も時間も掛かるもので仕事をしながらの治療は想像を遥かに超える過酷な戦いでした。
全身の痒みに掻きまくり、キズからは汁と血が滲み出て、お風呂に浸かる事2時間以上、大きくない風呂釜にずっと座るのは腰やお尻は悲鳴をあげました。仕事から帰り家に着くと煎じ薬を飲みお風呂場で食事を済ませ、浸かってはイスに腰掛け又浸かり、その繰り返し、湯船は皮だらけになり、体はふやけ、皮膚はボロボロと落ちました。お風呂の後は消毒や紅い塗り薬、その頃は一日に1個塗り薬が無くなっていました。
飲み物は1番から4番まで煎じた漢方を飲み職場にも持って行っていました。1週間もすると体から出る汁は服もすぐに濡れ何回も着替え夜は眠れなくなり、微熱は出てくる肌は全身赤くキズだらけ耳からは汁が流れ朝起きるのは辛く体はだるく、酷くなる事ばかりでした。
私のIgE抗体は38000台を超えていました。それがいつ数値が下がり良くなることは全く誰にもわからず、ただひたすら続けるしかなかったのです。1ケ月過ぎた頃病院に行ってるのかと回りの方から心配されるぐらい症状は酷く、3ケ月過ぎたころには外出も辛く、とにかく痒くて痒くて四六時中掻いていました、実際孫の手を買いに行き背中もボリボリと家も車の中も皮が落ち白い粉だらけになっていました。
産まれたばかりの息子がパパと言葉を覚えた頃限界でした。治療を始めて1年弱です。仕事は接客もあるのですが人前に出れる顔つきではなくなり、これ以上回りの人に迷惑を掛けるわけにはいかないと思い、休職願いを職場に申し入れました。本当に幸いなことに休みを頂く事ができ、約2ヶ月間休職いたしました。この頃夜は全く眠れないため、朝はゆっくりと起き夕方からお風呂に6時間入り、お天気のいい日には先生から言われた様に海水浴に出かけ海に入っては又砂浜で焼き又海に入り、その繰り返しの毎日で、焼けた肌は皮が分厚くだんだん肌が綺麗になっていきました。
勿論痒みはまだまだあり肌も焼けていない所はまだすっきりせず、でもこのひと夏で大分変わりました。IgE抗体は30000台になりました。まだ正常な人に比べるとどれ程酷い数値でしょうか、仕事復帰してからも生活スタイルは変わらず、漢方の香りや煎じ薬を飲むのがとても心地良くなっていました、余り症状は変わらず痒みは酷くまだまだ自分の体の皮を家中まいていました。
2年が過ぎた頃仕事の関係でお風呂に入る時間が無くなり先生から2日に1回でいいと言われ少し落ち着いたかと思いました。最初は一日1個の紅い塗り薬も1週間に1個ぐらいに減り、顔も体の色や肌も普通に戻ってきました、その証拠に回りの人からは治って良かったなと声をかけられる様になりました。まだ治療途中ですが年末には会社の社長よりあれだけ酷いアトピーをどうやって冶したのか教えてほしいと言われ、レポートを提出した程でした。
まだIgE抗体は10000台にもいきませんがこれからも漢方を続けていき、もう治りましたと松本先生に言われるまで諦めず頑張っていきたいと思います。
今治療を初めようと悩んでいる方、治療中の方、どうか諦めず自分の体を元の正常な姿に戻してあげて下さい。辛いです、しかし必ず楽になります信じて続けて下さい、一緒に頑張りましょう、治しましょう。
