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「後もう少し・・・」M.M.32歳 私は、現在32歳の主婦です。 小学校低学年のとき、急に目の周りが痒くなり、あれよあれよという間に、顔全体、ひじ・ひざの裏、わき、首の後ろへと広がりました。その頃は、アトピーなんて言葉は聞いたこともなく、電車に乗ったり買い物に行ったりすると、好奇の目にさらされ、子供ながらに辛い日々を過ごしました。中学生の頃は、「汚い!」といじめられた事もありました。 小学校6年生の時、日赤の皮膚科に行き、何時間も待たされた挙句、自分の番が来ると、先生の前にパンツ一枚の姿で立たされました。先生は何を聞くわけでもなく、カルテの人体の絵に赤鉛筆でアトピーの部分だけを塗りつぶして、ハイ終了。帰りには、顔用、体用のステロイドを渡されました。 それからステロイド生活がスタートしました。毎日塗っているにもかかわらず、中学卒業するまでは、良くなる事もなく、「一生治らない皮膚病」とあきらめていました。 でも高校生になった頃は、顔にはほとんど出る事もなく、ひざ・ひじ・首の後ろだけだったので、服で隠したりして、3年間を終えました。 卒業後、歯科衛生士の免許を取得するため、2年間学校に行きました。1年の頃よりも、実習などが入ってきた2年の方が酷くなり、顔も体も赤くなり、痒みもひどくて大変でした。 その後、歯科医院に就職し、痒みを我慢しながら働いていました。しかし、体中が傷だらけになった時、感染し、仕事を何日か休みました。その後も、また同じ事になるんじゃないかと心配でしたが、職場の院長先生に「先輩で、東洋医学を研究している先生がいるから、行ってみないか。」と言われ、すぐ行く事を決めました。 色々お話して頂き、私に合った漢方(顆粒)を調合してもらって、そこから漢方治療がスタートしました。(就職してからは、一切ステロイドを使用しませんでした。)良くなったり悪くなったりと、2年間飲みました。その頃は、24歳でした。 25歳で結婚、そして26歳に出産と、その間は、今まで見た事のない程、自分の中ではキレイになっていました。 29歳の誕生日を迎えるまでは何事もなく、このままずーっと続いてくれたらなあと思っていました。その5ヵ月後、2人目を妊娠していることが分かり、また顔がチクチクと痒くなってきました。そうなると、酷くなるのにそう時間はかからず、首全体、腕全体が痒く、真っ赤になりました。どうしても我慢できず、近所の皮膚科に足を運び、ステロイドを手にして、家に帰りました。 しかし塗るのには、とても抵抗がありました。塗っても良くならないと分かっていたから。でも妊娠中だし、子供を産むまでだけでも良くなってくれればという思いから、とうとう塗ってしまいました。一週間だけ塗りました。すると一週間キレイになり、ひとまず安心。と思いきや、顔が紫色に腫れ上がり、人相が変わってしまうほどで、主人や実家の両親も心配してくれていました。私も、自分でどうしたらいいかわからず、実家で生活する事になりました。 そんな時、母が知人から「松本医院」の話を聞いてきて、私に「行ってみたら?」と言ってくれたのですが、「どうせ今までと変わらんのやろう。」と、その日は、何も考えませんでした。しかし次の日、母が「やっぱり行ってみようや。あかんかったら、また次を考えよ。」と言ってくれたので、急いで用意をして車を走らせました。 忘れもしません、2000年5月24日でした。遠出の苦手な母ですが、一生懸命運転してくれました。階段を登り、入り口に立つと、まず目立つものがありました。それは「ステロイドは一切使用していません。欲しい方は、薬局か違う医院へ行って下さい。」の文字。何故か嬉しく思いました。 始めに看護師さんのお話、納得のいくものでした。その時に「ステロイドに手を出す前に、ここに来ればよかったのに。」と言われ、全くその通りだと思いましたが、その時はまだ「松本医院」の存在を知らなかったので。 次に呼ばれた時は、松本先生とのご対面。びっくりでした。さっき看護師さんのお話を聞いている時に、中でウロウロしていたハデなシャツを着た人が、先生だなんて!!そして私の顔を見るなり、「治してあげるから。」の一言でした。またまた、びっくりでした。今まで出会ったステロイド派(?)の先生方(先生だなんて、呼びたくないのですが。)は、「だいたい良くなれば、いいんじゃない?」とか「使い方を間違っているんじゃない?」とか「そんなに怖がらなくても、皆使っているのに。」とか、そんな言葉ばかりでした。 でも松本先生は違っていました。その時に思いました、信じようと。その日から漢方のお風呂に入りました。煎じ薬は、私が妊娠4ヶ月だったので、「大丈夫とは思うけど、まずは消毒とお風呂から。」という事になりました。 顔が真っ黒になり、そのうち少しずつ白い部分が増えてきて、始めは「えっ?もうキレイになるの?」と思いましたが、甘かった。それから、ステロイドの恐ろしさを知りました。 顔中が痒くなり、掻くと皮がズルッと剥けて汁が噴き出し、どうしようもない状態になりました。お腹も痛くなってくるし、顔は酷く痒いしと苦しんでいると、病院は終わっていたので、母が松本先生の自宅に電話をしてくれました。しかし、時間は夜の9時を過ぎた時で、母はかなり叱られていました。私も母に8時までという事を言い忘れていて、母は医院の待合室で他の方の手記を読み、「何時でもいいから。」というのを見ていたので、そんな時間にかけてしまいました。でも先生はいつまでも怒っているワケではなく、母にアドバイスをして電話を切られました。それは「痒ければ、どんどん掻きなさい。」との事。そんな事、行った時には教えてもらっていなかったので、「本当?」と思いました。 次の日、「松本医院」に行き、とても叱られました。母の事もボロクソに言われました。私は何も言う事が出来ず、ワーワー泣いてしまいました。しかし先生は「今日だけは言わしてもらう。これから二度とこの事については言わないから。」と言って、話を続けられました。(でも医院に行く度、「君は確か、夜の9時に自宅に電話してきた子やな。」と言われましたけどね。) 帰りの車の中で、主人は「先生の言ってる事は、正しいと思う。口は悪いけど、言い過ぎの部分はあるけど、信頼できると思うで。」と言い、「頑張れ!」と励ましてくれました。 先生から、手記も載っている小冊子を頂き、毎日読んでいました。それから苦しい日々が続きました。消毒は沁みるしお風呂から出ると、痒みが襲う。 そんなある日、お風呂の用意をしていた時、ふと自分の姿が鏡に映りました。よーく見ると、ドーナツ模様の赤いものが、首から腕にかけて広がっていました。さらによく見ると、水疱になっています。もしかして!!すぐ小冊子を手にし、読み返すと「カポジー水痘症」の症状と同じだったので、すぐに「松本医院」にTELしました。 やはり、「カポジー水痘症」でした。しかし妊娠しているので、抗ウイルス剤は服用しない方がいいのではということでした。私はその時、子供をおろそうかとも思い、パニック状態になりそうでした。そんな私に、先生は「もう5ヶ月に入ったから、漢方も飲みなさい。」と言ってくれました。 信じるしかないと思っていたので、言われたとおりにしました。すると一週間くらいでカポジーは消え、不安も消え、一安心。と思っていると、それが上の子にうつり、大変でした。でも子供は、抗ウイルス剤の服用・塗布で治りました。 それから煎じ薬もプラスされ、痒み・痛みで眠れない日々が続き、自分が妊婦である事を忘れるくらい毎日が苦しかったのを、今でも覚えています。 そんな中、先生はお灸も薦めてくれたので、チャレンジする事に。お灸の先生に「妊婦さんやのに、つらいね。でもここの先生を信じて頑張ってね。」と言って頂き、涙が出るくらい嬉しかったです。主人がお灸の仕方を教えてもらったので、毎日仕事から帰ってくると実家に寄り、お灸をしてくれていました。 主人もしんどいのに、私がイライラして八つ当たりをしても、全然動じることなく、一生懸命してくれました。その時の私は、顔一面皮膚がめくれ、汁が噴出していました。「悪いもの出してるねんなあ、すごいなあ。」と言ってくれていましたが、後で聞くと、「絶句した。あんなに酷くなるなんて。」と思ったそうです。 唯一、子供が怖がらず、「ママー」と来てくれていた事は、本当に救いでした。その頃から、酷いもののマイナスに考えるのは少しずつなくなっていました。「もし出産近づいてきてもこのまま酷かったら、助産婦さん呼んで顔を隠して出産するね。」と言い、まだ見ぬわが子に早く会いたいなあと思いました。それから少しずつ良くなり、産婦人科で産む日が近づいてきました。その頃は、もうお風呂に入ることも出来ず、消毒とシャワーをしていました。 そして11月23日夜、無事女の子を出産しました。「松本医院」にお世話になってから、ちょうど半年。産婦人科でも消毒する事は忘れず、看護婦さんに無理を言って、1日2回使わせてもらい、紅い薬も忘れず塗っていました。出産後も痒みは変わらず、夜眠る事も出来なかったので、夜中も授乳に行き、何とか気を紛らわせていました。 退院後も痒みと戦い、子供も生後一ヶ月になったので、一緒に漢方風呂に入ることにしました。下の子はアトピーでした。子供の顔も、日に日に酷くなり、二人で治療する事になりました。 私はキズは少なくなり、消毒もあまり沁みなくなっていました。でも朝、布団から起きるときは、皮膚をさすらないと痛くて起きれませんでした。母は、とても協力してくれ、子供の世話も引き受けてくれました。しかし母は、心臓が悪く、かなり負担になっていたみたいで、毎日「ごめんね、有難う。」という気持ちで一杯でした。そんな母を見て、自分で頑張ろうと思い、主人の待つ自宅に戻りました。でも母は、毎日の様に、お風呂の時には手伝いに来てくれていました。(近くだったので。) 子供は、顔中汁だらけで真っ赤な顔をしていて、毎日写真を撮り、様子を見ていました。1歳のお誕生日の頃には、漢方のお風呂を見るだけでイヤがり、入ってくれなくなりました。でも顔はツルツルで、今では「色白やねぇ、ツルツルやねぇ。」と言われる様になりました。現在、子供は2歳8ヶ月。まだ足は少し痒がりますが、消毒だけは進んでしてくれます。 私はといいますと、下の子が1歳になった時、まだ顔と首は少し赤く、ひじ・ひざもキズがあり、体も痒かったんですが、また働くようになりました。今では、化粧もバッチリしています。ひじ・ひざにアトピーの跡はなく、ツルツルです。首は後ろが少し痒いだけで、脇の後ろは汗をかいたときに痒くなりますが、誰も私が酷いアトピーだったなんて信じてくれません。 そんな時は、昔酷い時に撮った写真を見せてあげるんです。皆、びっくりしますよ。知人や知人の子がアトピーだと聞くと、「松本医院」の話をするんですが、すぐ行く人もいれば、「ホント?」と疑う人もいます。人それぞれなので、仕方がないかもしれませんね。 私もまだ完治宣言して頂いていないので、「絶対行った方がいいよ!」と言えないんですよねぇ。でも完治したときには、必ず私と同じように「行って良かった。」と思える人を、作っていきたいです。手記も、もっと長く書きます! 治療は、家族の協力が絶対必要ですよ。上の子には「お母さん、だいぶキレイになってきたなぁ。」と、良くなる度言ってもらっていました。よく見てくれているんだなと、嬉しかったです。妊娠というリスクがあっても、先生は必ず良い方法を考えてくれますよ。同じような思いをしている方、頑張って下さいね。 一人の体なら「死にたい。」という思いがかなりあったんですが、お腹の中の子も頑張ってくれていたと思うし、この子が居たから乗り越えられたと思います。 お父さん、お母さん、パパ、チビちゃん2人、どうもありがとう。 そして、松本先生有難うございます。完治宣言を頂くまで、頑張ります。また握手して下さいね。パワーを頂きます。
2003年7月13日
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