「病気を治す病院〜中間報告〜」O.R.2歳

 

20041121

≪はじめに≫

以前、私の知人の知り合いがアレルギー疾患で悩んでいると聞き、松本医院のこと、HPの存在などを伝えたところ、「この手記は、同じ人が書いているのではないか。」と言われ、驚いた事がありました。今回、私が手記を書かせて頂くにあたり、

・松本医院に置いてある手記は、自筆のものも多く、筆跡は、当然ながら、全て違うと言う事

・今から述べる事は、事実以外の何ものでもない事

・ましてや、私自身が、松本医院の親戚、知り合いでも何でもない事

・手記を書いた事で、私が得るものは、満足感以外、何もないという事

を、はじめに述べさせていただきます。と言っても、証明する事は出来ませんが、見極めて頂いた方の、アレルギー完治までの参考になれれば、嬉しく思います。

 

≪息子の症状・経過〜松本医院を知るまで〜≫

生後間もない頃から、オムツかぶれに始まり、母乳かぶれ、よだれかぶれ、汗によるかぶれなど、体に接触する全てのものに、かぶれが生じました。食物アレルギーも、マルチに持っており、卵、乳、魚(白赤青)、果物(梨、すいか、ぶどうなど)、ごま、小麦、トマト、他にも犬など、調べれば、多分もっとあったかもしれません。本などによく書いてある『アトピー特有の、ジュクジュクした、赤くて、痒みの強い湿疹』というのは出来ませんでしたが、痒みの少ない湿疹、頬が赤くなる感じは、常にある状態でした。

秋に11ヶ月を迎えたのですが、急に体を掻くようになり、1歳になる頃には、顔、特に顎からは、地下水が湧き出るように、滲出液が出るようになり、腕や腹部は、引っかき傷だらけでした。

1歳8ヶ月の時、とびひと、マイコプラズマ肺炎に罹りました。とびひに至っては、ブドウ球菌性皮膚熱傷様症候群の状態になり、全身ベロベロに皮が剥けました。それ以後、2歳3ヶ月になるまでの約半年の間、抗アレルギー剤等の内服をはじめ、見た目ではアトピーとはわからないほどになりました。しかし内服を止めると、血液検査では食べられる値の食物を食べても、蕁麻疹や、顔の荒れが再び出現し、膝などは掻きまくり、ボコボコの皮膚になりました。

ちなみに、こんな状態でも『アトピー性皮膚炎』とはっきり診断されたのは、1歳8ヶ月、最後の病院に行った時です。それまでは、どんなに滲出液があふれようと、かぶれようと、私が尋ねようとも、アトピーとは言われず、首をかしげる、もしくは、その都度、『〜かぶれです。』『〜湿疹です。』という診断しか下されませんでした。

 

≪私が考えた事≫

私自身がアレルギーで、抗ヒスタミン剤等内服しても、治らない事はわかっていたので、小さな子供に薬を飲ませるのは、できる限り避けたい事でした。またその時、私の中での常識では、『アレルゲンが体内に入る程、IgE抗体値はどんどん上昇していく』という、(今思えば誤った)認識が揺ぎない物だったので、いかにして薬を使わず、抗体を作らせないか、という考えが、その時点ではベストだと思っていました。そのため、食べられるようになる時期を待ち、除去食は可能な限り徹底して行い、ハウスダスト対策も、かなりしっかりやっていたと思います。その他にも、アトピー、アレルギー関係の本やHPを読みまくり、良いと思われる事を、その理由を考えながらやりましたが、全てに於いて、前述のように『アレルゲンが入れば、IgE抗体は上昇し続ける』という間違った知識の元で行っていた事でした。

自分がしている行為に、幾つかの細かな疑問を持ちつつも、子供が将来少しでも楽しい人生を送れるようにと、必死にこなしていました。小児科も、4件ほど変わりました。どんな医者だったかを思い出す時間すらもったいないような医者ばかりでした。子供も私も眠れない日々、そして氾濫した情報に惑わされ、周囲の人たちの言葉に心身ともに疲れ果て、最後に(松本医院の前に)、多分薬を処方されるだろうと思い、行くのを躊躇っていた大学病院に行きました。そこで『この顔の状態のままでは可哀相だから、とりあえずお薬飲んで、一旦、顔をきれいにもどしてあげましょうか。』と言われました。「可哀相・・・」この言葉は、疲れていた私には、とどめの一言でした。私は可哀相なことを、子供にしてきてしまったんだろうか、アレルギーからは逃れられないのか、そんな言葉が頭の中をぐるぐる回っていました。薬を飲み始め、3ヶ月で乾燥気味ではありましたが、赤ちゃんのような肌を取り戻すものの、それは、薬を飲んでいるせいである事はわかっていたので、嬉しさはあまり感じませんでした。除去は続けたままでした。

薬を飲む事も抵抗があったけれど、「アレルゲンを摂りながら、薬で抑え込むなんて、どう考えても馬鹿げている。」と思ったからです。半年内服を続け、1つずつ除去を解除してみましたが、やはり皮膚症状は出るし、何ら治ってはいませんでした。それからは、勝手に内服を中断し、除去だけ続け、新たな知識と情報を探していました。

そんな折、近所で、ある健康食品を食べている人と知り合いになりました。除去をしないで、アレルギーが治ったというのです。『アレルゲンを入れても、症状(反応)が出なくなる???』これは、私の中の常識が壊れるきっかけとなり、同時に『アレルギーに勝てるかも』と言う思いが芽生えた時期でした。そこで、今まで色々な人達から聞いた事を思い出してみました。

・明らかにアトピーだった子供が、除去食をしなくても、症状が軽快するのは何故か?

 ⇒『アレルギーは、一生付き合っていく』んじゃなかったのか?

 

・アレルギーマーチの経過を取る人と、そうでない人がいるのは何故か?

 ⇒どこに差があったのか?

 

・放っておいたら治った、というのはどういうことか?

 ⇒自然に治る事があるのか?

 

・治ったと言う人と、治らない人との違いは、どこにあるのか?

 ⇒何が違うのか?

 

・「消化器官が発達すれば、食物アレルギーは治る」と、多くの医者は言うが、小学生になっても食べられないものがあったり、大人の食物アレルギーがあるのはなぜか?

 ⇒いくら何でも、大人の消化管は完成しているだろう。子供の頃に出来た抗体だって、寿命があるのではないのか?ワクチンで作った抗体にも、寿命があるし。

 

・脱ステロイドを独自でやった人は、体中ベロベロに剥けながらも、なぜ軽快していくのか?

 ⇒アレルゲンは入りつづけるはずなのに、何故?

 

・悪いのもを出すと言うが、悪いものとは何か?出し切る、つまり終わりはあるのか?

 ⇒出し切る日が来るのか?それは何故?どんな状態が終わりなのか?

 

これらを考えていると、病院に行ったり、抗ヒスタミン剤等を使用した方が、長引いているように思えました。アレルゲンが入っても、症状が軽快していくのなら、除去は意味がないんじゃないか、それとも薬がいけないのか、それともアレルギーのレベルが違うのか・・・など、凡人の頭でいろいろ考えました。

しかし、予測だけでは、2年半やってきた除去を止めることは出来ませんでした。私が子供に対して、また『可哀相な事』をしてしまうかもしれないという思いがあったからです。

アレルギーが治ったという健康食品も試してみましたが、『体の中の悪いものを出す』とか、『毒素を出す』などの曖昧な表現が、どうしても納得がいかず、すぐに止めました。出し切ることはできるのか?何故できるのか?そこが一番知りたかった事だったからです。アレルギーは、多分治るものに違いない、でも、具体的な理由がわからない。掴めそうで掴めない、分かりそうで見つからない、そんな晴れない空のような気持ちでした。

 

≪松本医院のHPを開く≫

ヤフー掲示板から検索したページに載っている、たくさんのHPの中に、松本医院があることは知っていました。しかし、見るのは後回しにしていました。病院だったからです。

他のHPを見て、今ひとつピンと来るものがないな〜と思いながら、順に色々見ていって、2004年6月に、やっと松本医院にたどり着きました。開いた時、文字量の多さに驚きましたが、免疫寛容の理論を読み、鳥肌が立つような

感覚、声を出して叫びたくなるような気持ちになったのを、今でも覚えています。もしかしたら、叫んでいたかもしれません。あの時の衝撃は、私のつたない文章力ではとても伝えきれませんが、そこには、私が探していた答えが用意されていました。「点と点が、一本の線になる」と言うのは、こういうことだと感じ、『勝てる!』そう確信できました。

HPは、ドライアイになるほど読みふけりました。もちろん、アトピー以外にも、リウマチ、喘息、鼻炎、結膜炎にも目を通しました。松本医師の説く理論と治療は、逃げ場がありませんでした。アレルギー疾患とは何か、そしてその治療理論には一貫性があり、臓器別に、違う漢方を使ったりする事はあっても、基本的理論は同じでした。

主人が仕事から帰宅するのを待ち、大阪に行きたい事を伝えました。初めは反対していましたが、HPを読んでもらい、私が分かる範囲で説明しているうちに、受診する事に承諾してくれました。そして、2004年6月11日、台風接近のこの日に、愛知県から大阪に向かいました。

 

≪治療開始≫

2004.6/11 初診

漢方の匂いの中、待合室で、私は、息子に約束しました。『ママが、カイカイを、絶対治してあげるからね。』すると、『うん。』とニコーッと笑い、抱きついてきました。私は今まで、こんな小さな子に、どれほどのストレスをかけていたんだろう。痒いのに、掻けない辛さは、私が一番知っているはずだったのに・・・。『もう掻いてもいいんだよ、今までごめんね』と謝りました。

順番が来て、診察室に入り、事前に、今まで使用した塗り薬と、服用した薬品名と、おおよその服用期間と、過去の採血結果を記した用紙を渡しました。ここの病院では、きっと過去に投薬された物の種類や期間が重要だと思ったので、それを正確に伝えたかったのが1番の理由ですが、この診察室の椅子に座るまでの道のりは、他の患者さん同様、平坦なものではなかった為、初めて出会えた頼れる存在を前に、症状から、経過から、不満から、愚痴から、不安まで、取り留めなく出てきて、言うべき事を言えなくなりそうな気がしたからです。

松本先生の印象は、『大声で、落ち着きなく、決して上品とは言えない言葉で、機関銃のように話しをする、病気を治す事を仕事としている、誠実で頼りがいがある男の人。』と言う感じでした。自分の証明した理論に、自信と誇りを持っている、しかしおごることなく、新しい情報には貪欲、そして自分が言い間違えた些細な事も、『ごめんなさい。』と誤り、訂正する事ができる、それまで私が勝手に思っていた『頭の良さと、プライドの高さは、比例する』の法則を打ち砕かれた思いでした。

 

息子が使用した薬品類です。

〜外用薬〜

・アンダーム軟膏orクリーム(生後1ヶ月〜2歳6ヶ月まで)

・ヒルドイドクリーム(11ヶ月〜1歳7ヶ月まで)

・ヒルドイドローション(1歳8ヶ月〜2歳6ヶ月まで)

・ワセリン(1歳8ヶ月〜2歳6ヶ月まで)

ひどい時数回キンダベート、プロペト+リンデロンVG   −顎と首に塗布

 

〜内服薬〜

・アタラックスP(11ヶ月〜1歳7ヶ月まで)

・人参湯(11ヶ月〜1歳7ヶ月まで)

・ザジテン(1歳8ヶ月〜2歳3ヶ月まで)

・ペリアクチン(1歳8ヶ月〜1歳11ヶ月まで)

 

抗アレルギー剤、抗ヒスタミン剤を4種類、時期をずらして飲んでいるので、症状の山は、最低4回は来るだろうと予測し、治療を開始しました。

松本医院から処方されたものは、他の手記を書かれた方と同じ物です。息子は便秘がちだった為、2歳でしたが、36日目から、アトピー用の煎じ薬も服用しました。

 

≪治療経過≫

☆1日目〜3日目☆

漢方風呂に入ると、体も温まるせいか、あちこちをガリガリと掻き、顎など辛うじて皮が張っていたところも、ペロンと簡単に向けてしまう。

加熱した牛乳を、料理に少し加えて出した所、食べてすぐ、背中半分、蕁麻疹出現。早速、食後風呂に入れ、湯の中で、ガリガリ気が済むまでかいてやる。傷口から、薬がより吸収されていくと思うと、息子が望むまま、力を入れて掻いてあげられた。

3ヶ月前に、ザジテンをやめた時、息子の頚部のリンパ節が、1.5cm弱ほどに腫れてきた事があり、「悪性疾患か?!」と、もの凄く気になったため、その当時通院していた大学病院で、主治医に伝えた。「大きくなっていかなければ、心配ない。」と言われるも、2〜3週間は不安な状態のまま、様子を見ていた時期があった。どなたかの手記の中の、松本先生のコメントに、『抗体を盛んに作り出すために、リンパ節が腫れた』というものがあり、腫れ初めの時期が、ザジテンを中止した時期と重なっていたため、「その時の理由は、これだ。」とわかり、やっとホッとできた。

 

☆4日目〜2ヵ月半☆

この間に4回ほど、顔と頭以外の皮膚が黒ずみ、ざらつき、数日してつるつるになる、という変化を繰り返した。朝起きると、蕁麻疹、という日が続く。食事に関係なくても、湿疹、蕁麻疹の有無に関わらず、いつも、常に、体のどこかを掻いているような状態だった。

夜間に、痒くて起きる事もしばしばあったが、ガリガリ強く掻く割に、朝起きても傷があまり残っていないのが、特徴的だった。

痒みは伴わなくても、果物やソフトクリームを食べると、口の周りが必ず赤くなった。初めて秋刀魚を食べ、顎の皮がベロっと剥け、滲出液が噴出したが、数分で止まり、次の日には、薄い皮が張っていた。

今まで、汗をかくと、あせもがひどく、汗をかかせないようにしてきた。常に涼しい環境にしてきたので、代謝もかなり落ちていたんだろう。昨年の冬などは、1歳にして、しもやけになってしまった。

そんな子が、今は、他の子より汗っかきになっている。あせもが出来ては、治って、また出来る、を繰り返している。痒くても、よく食べ、よく笑い、よく遊ぶ。治療を始めてから、日常生活の中で、できなくなった事は、何もなくなった。一度、39度〜40度の発熱が、2日間続いた程度だった。

 

78日目☆2回目の受診

「湿疹もないのに、体の奥が痒いのは、肥満細胞にくっついているIgEとアレルゲンとの間に、ブロックするように入り込んでいたザジテンが、解除されてきたから。」との事。今更ながらに、薬を飲ませた自分に腹が立つ。漢方風呂が、二日に一回になる。

 

☆2ヵ月半〜5ヶ月目☆

 蕁麻疹が出来ようが、顔が赤くなろうが、構わず、私たちと同じ物をあげていたら、初め反応が出た物も、だんだんと出なくなってきた。しかし、全ての食材が同じように食べられるようになったと言う訳ではなかった。息子の場合、治療当初は、数口食べただけで、顎がむけた青魚など、加熱した魚類は、あっ という間に食べられるようになった。これにはかなり驚いた。卵黄も平気になったし、野菜類は、全く問題なくなった。乳製品も、ほぼ大丈夫になった。

一方、痒みはないが、食べると口の周りが赤くなる程度の反応だった果物類は、旬の時期の間あげ続けたが、最後まで、口周りを赤くしながら食べていた。また、非加熱の卵白を食べたり、食物よりも接する機会が少ない犬に触れた時は、顔中、蕁麻疹が著しかった。それでも、掻いた後は、傷が残る程度で、皮がめくれ、汁が出る事はなかった。

「傍目では、アトピーとは分からない。」と、人によく言われる。限られた強い抗原に出会う時だけ、蕁麻疹の形で現れた。

9月になり、プルプルだった頬が、赤く荒れ始めた。「9月と言えば、花粉!」と思い、松本医院に、確認のрした。やはり花粉との事。

10月になり、顔が綺麗になってきたので、「秋の花粉は寛容したんだろうか?」と思っていたら、10月後半に、また荒れて来た。今年は、既に杉が飛んでいると、テレビでやっていた。そういえば、杉花粉症の主人が、最近やたらとクシャミを連発していた。

2月の本格的杉花粉のシーズンに、また息子の顔が荒れるだろうと考えていたが、早いうちに、杉に感作された方が、寛容するのも早まるかもしれないので、ラッキーだった。世間の人からは怒られそうだが・・。

もともとよく寝る子だったが、更によく寝る、夜間痒くて時々起きる事もあるが、それを考慮しても、よく寝る。よく食べる。うんちも、1日1回出るようになった。

頚部のリンパ節は、いつの間にか小さくなってきており、首を傾げないとわからないくらいになってきた。これからまたリバウンドの波が来て、大きくなるかもしれないが・・・。

 

☆155日目 3回目の受診☆

膝裏と右太もも内側に、湿疹が出来ている。出来ては治り、を繰り返している。眠くなる時、起きた後、特によく掻いている。副交感神経優位のせいだろうか。「痒くなる事自体は、まだザジテンのブロックが取り切れてない為」と、松本先生より言われる。薬を飲ませた事への後悔・・・もう何度目だろう。もう少し成長し、物事がわかるようになったら、きちんと子供に謝ろうと思う。

そして更に成長し、大人になり、そして親になった時、自分の子供に、私がした過ちを犯さない為に、しっかり伝えなければならないと思った。

この日、手記を書くように言われる。思わず診察室で、「ヤッター!』と声をあげてしまった。

 

≪終わりに≫

私の息子の場合、薬の服用期間がさほど長くなく、ステロイド等は常用しなかった為、予想より軽いリバウンドで済みそうです。私が松本医院にかかるまで息子に行ってきた事は、正しい事ではありませんでしたし、逆に、疾患を長引かせる結果になってしまいました。その事は、本当に悔やまれるし、謝らなければいけないと思っています。しかしそんな後悔の期間の中で、唯一良かった事は、私自身が、『初めからわかっていた知識に甘んずることなく、新たな情報、事実を知ろうとする事』を止めなかった事だったかな、と思っています。私が一番不安になるのは、『体内で何が起きているかわからない』という事なのです。免疫寛容の理論を、自分なりに理解した上での治療だったので、その間に出る症状に対し、不安などは全くありませんでした。ただ、以前罹った、『とびひ』のようになるのは避けたかったので、感染には注意していました。

1歳半の時の血液検査で、一気に色んな食物に反応が出た時、病院からの帰り道、子供と一緒に死のうかと、本気で思いました。でも死ななくて、諦めなくて、今、息子の笑顔が見られて、本当に本当に良かった〜。心からそう思っています。心労が減ったせいか?!産後すぐに戻ったはずの体重が、この半年で、2キロも太ってしまいました。

まだ完治に至っていませんが、その日まで、松本先生、スタッフの皆さん、宜しくお願い致します。