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    「私のリウマチ治療」坂野 靖子 48歳

    2007年2月17日

    2002年6月、亡くなった叔母の家の後片付けで、重い荷物を何度も運んだせいか、肩の痛みを感じて行きつけの外科に行きました。以前から仕事のせいで肩や手首に軽い痛みのあった私は、その度、電気をあててもらったりしていましたが、その時はなかなか痛みがひかなかったので、「早く治るから注射しましょう。」と言われ、肩に注射をしたのです。その後痛みは止まり、その事も忘れて、又いつもの生活に戻りましたが、2ヵ月後突然肩の激痛。前までの痛みとは全然違う、右腕が30度位しか上げられない。それからは整骨院で電気治療、整形外科でレーザー治療、五十肩だと言われ(えっ?43歳なのに・・・)それでも痛みはひどくなり、夜も眠れなくなり、やっと眠っても痛みで目が覚める・・・そんな日が続きました。

    2003年の3月、もしかすると肩に腫瘍でもできてるかもしれない、私は大学病院でMRI検査を受けました。肩健板損傷、手術しても肩は上がらない、痛み止めを飲みながらリハビリするしかないと言われました。

    それから7ヶ月間、私は何の治療もせず(湿布薬は時々していた)、右肩をかばいながら生活していました。

    2003年11月、突然右手の親指が腫れて痛み出しました。久々に病院に行くと「ばね指です。」と言われました。「40歳を過ぎると多くなります。」体の痛みはすべて40歳を過ぎたらと、年齢のせいにされているようで、42歳まで病気ひとつせず、とても健康体だった私はショックでした。この頃から、自分はリウマチではないかと不安がありました。医師にたずねても「まあ年齢的なものでしょう。心配することはないですよ。理学療法をやってみましょう。」と言われ、4ヶ月が過ぎました。それでも痛みは右足のくるぶしまできました。肩、親指、くるぶし、理学療法していただいた先生が、「他の病院で血液検査をしてみたほうがいい。」リウマチ科のある病院を教えてくれました。

    よく考えてみると、今までリウマチの検査をしてもらえなかったことがおかしい。私はその病院で検査をしてもらいました。

    「リウマチ因子85、うちの病院では治せない」そう言われました。すごく
    ショックでした。

    なんて無責任な・・・。さんざん五十肩だ、ばね指だ、腱鞘炎だと言われ、のどに星状性神経ブロック注射までしたのに。この時すでに2年近くが過ぎていました。知人のすすめで、リウマチ専門の病院に変わりました。
     
    2004年の3月 レントゲン検査を受け、今までの状態を話すと、「リウマチではないでしょう。血液検査の結果は、神経質にならないほうがいい。」
    この時の医師の言葉に、家族も実家の母も泣いて喜んでくれました。それから
    3週間、ロブ錠と胃薬を服用、超音波治療・・・だけど痛みはおさまらなかったのです。
     
    私の頭の中では、リウマチとうい文字が再びぐるぐるまわって離れなかったのです。
     
    「もう一度検査をしてください。」5日後、やはりそれは間違いなかったのです。「慢性関節リウマチ」の診断をされ、カルテにリウマチとういゴム印が押されました。「リウマチじゃなかったよ」と言ったとき、泣いて喜んでくれた実家の母には本当のことは言えず、自宅で一人で声を上げて泣きました。すごく辛い日でした。

     それからロブ錠に加えてオークルが処方されました。
     その後薬がなくなると病院に行きましたがほとんど診察はなく、処方箋を渡されるだけでした。この頃又友人から別の病院を紹介され、次の医師はすべてが自信たっぷりで「今やリウマチは慢性ではない。うちに来れば95%は寝たきりにならずにすむ。」と言われました。この時の検査で「あなたはリウマチの他にも混合性結合組織病の疑いがあります。」と言われ、再検査をされました。
    その時の私は精神的にもまいってしまい、これ以上私ばかり何なの?自分の運命を怨む気持ちにもなりました。一番辛い時期でした。

     2004年4月24日から、忘れもしない ステロイドとプレドニゾロンを2mgと、ハイペンを処方されて服用を始めました。
     
    買ってきたリウマチの本にも、「医師の処方した薬を勝手にやめてはいけない、専門医に任せて治療することが大事・・・」というようなことが書き並べてありました。

    6月5日 リマチルが処方されました。その頃、職場の健康診断で肝機能が悪くなっていることを知りました。今まで一度も異常がなかった肝臓・・・
    薬の副作用だと思いました。「薬をやめたい。ステロイドを飲みたくない・・・」そんな気持ちでインターネットでいろいろ開いてみました。その時に私の目に飛び込んできた“リウマチは治る”という言葉でした。
     
    松本医院の漢方治療。手記の中の松本先生の「私が治してあげます」という言葉と、リウマチは治るという理論が私をくぎづけにしました。
     
    その日から私は迷いもなく全ての薬をやめて、大阪行きのホテルと新幹線の予約を取り、6日後大阪に向いました。

     6月22日 肩が痛み始めてちょうど2年が過ぎていました。最初の病院から数えて6人目の医師 松本先生。今度こそ、今度こそと祈る気持ちで、松本医院の階段を主人に支えられて昇っていきました。
     
    普通の病院と違って、消毒液のにおいのかわりに、漢方のにおいでたちこめていました。たくさんの患者さんが手記を読みながら待っていました。

    1時間40分程待って名前を呼ばれて、今までの治療と経過を話しながら、落ち着いていく自分がいました。全て話し終わると、松本先生は立ち上がって
    「治してあげます!」と握手してくださいました。この言葉を聞きたくて大阪まで行ったのです。
     
    福岡に戻り、煎じ薬とお灸の毎日が始まりました。鍼は週に1回、仕事休みに行くことにしました。中でもお灸が1番辛くて、毎日主人に右肩、左肩とお灸をしてもらいました。私が「ウーッ」と涙をためるたび、「大丈夫?やめる?」と言ってきた主人も1週間もすると「ウーッ」と涙をためても、平気でもぐさに火をつけられるようになりました。「2人で頑張ろう!絶対治る!」そう言いながらお灸をしていました。

     検査の結果を電話で聞きました。「血沈65、CRP0.7、バリバリのリウマチや!結構重症やなぁ・・・」と言われ、落ち込む私に「大丈夫!絶対治したるから・・・リウマチなんかたいした病気やない!」その言葉は「よし頑張ろう!」と強い気持ちにしてくれました。

     朝から寝る時まで煎じ薬をお茶がわりに飲み、職場の同僚から、私のそばにいると「漢方薬の臭いがするね」って言われるようになりました。この頃からリバウンドと思われる痛みが、夕方から夜にかけて起こり、3、4日ほど水のような下痢が続きました。それに目のかゆみ、下半身のだるさ、でも2年前から続いていた痛みに比べたら耐えられる・・・そう思いながら過していました。

     8月に入ってから、体のだるさがとれて、右肩以外は忘れるくらい楽になりました。それから驚いたことに、漢方風呂に家族も入っていたので、長女のまぶたにアトピーが出て4、5日ひどく腫れました。かゆみもひどくて、夜もねむれないと言いだしたのです。

    そういえば、4歳の頃「軽いアトピーですね」と言われ、治療もせず放っておいたら、中学生の時コンタクトレンズにしたのをきっかけに目のかゆみがひどく、眼科で目薬を処方してもらい使用していたのです。1年に3回ほどそういう症状になり、使用していた目薬には後で考えると、ステロイドが入っていたのです。今まで何の疑問も持たずに使用していたことが悔やまれました。

    娘も私が松本医院にかかっていたので、ステロイドの恐さを毎日聞いていたので「もう絶対使いたくない」と漢方浴剤でまぶたを洗うなどして頑張ってました。娘のことも松本先生に話してみると、「今までの治療があかんかったんや」
    と、アトピーの煎じ薬と塗り薬、抗生物質の薬を送って下さいました。1週間程で腫れはおさまり、見た目はわからなくなりました。

     2004年の9月19日 3ヶ月ぶりに松本医院へ行きました(娘と2人で)。
    この頃右の胸に、直径2センチ位の湿疹があらわれました。娘のアトピーとは違うし、何だろうと思っていましたが、これもアトピーだと松本先生に言われました。やっとアトピーが出た!リウマチが完治に向っているのだと、嬉しくてたまりませんでした。

    お灸も煎じ薬も鍼も、私を裏切らない効果をもたらしてくれる。これまでの治療法がどんなに私を裏切ってきたか。もっと早く、松本医院に出逢いたかった・・・何度もそう思いました。

    2回目の血液検査の結果が出たとき、がっかりしました。
    血沈92、CRP1.42、RF57、プロテイナーゼ169.6、3ヶ月前より数字が悪くなってました。

    松本先生が、「あんたは注射を打っとったんやなあ・・・。リウマチはアトピーにならんと治らんから。必ず治したるから!」と言われました。

    今から何回となくリバウンドを繰り返していくのだろう、松本先生を信じて頑張ろうと思いました。痛みは両肩、足のくるぶし、左手の指にありました。
     
     11月に入り、体も軽くなり、リウマチを忘れることもありました。嬉しかったのは、今まで主人や娘にしてもらっていた掃除機をかけることも、包丁で野菜や肉を切ることも、自分で少しづつできるようになったことです。
     
    寒くなると朝は少ししんどいけど、娘のアトピーもずい分よくなり、「あと少し薬を飲めばいいでしょう」と言われました。
     
    私の検査結果は、血沈50、CRP1.38、RF46、プロテイナーゼ183.9。

    アトピーがなかなか出なくて、あせっていました。ただ、鼻がムズムズしたり、目がかゆくて充血したりすることを松本先生に話すと、それもアレルギーですと言われて安心しました。いろんな冗談を言われて話しをする松本先生を見て、娘はずっと笑っていました。「お母さんを絶対治したるから」と娘とも何度も握手されました。

    翌日、大阪の友人から神戸に連れて行ってもらって、かなり歩きまわってしまったけど、不思議と足が痛むこともなくて、びっくりしました。
    「すごい!やっぱり治ってきてるんだ」

    2005年3月 初めて織田先生から「お灸、頑張ってるね」とほめられました。焼ききることが大事、熱さに負けず肩や足にお灸をすえてきた成果がちゃんと出てきました。この時は帰りに京都を歩きまわり、それでも痛みもなく大丈夫でした。

    私のアトピーは、他の患者さんのようにたくさん出ることもなく心配だったけど、5月に入り両足のひざから下がかゆくてカサカサに乾燥してきました。リウマチが治ってきている。それは嬉しいかゆさだけど、醜い足のせいで今年の夏はスカートははけません。

    6月 検査結果、血沈47、CRP0.43、RF54、プロティナーゼ131.2 数字のわりに体調がよく、毎日がすごく普通にすごせたのが幸せだと思いました。
    1年前の私は精神的にもボロボロで、子宮不正出血で通院していた婦人科の医師から心療内科の先生を紹介されたこともありました。でも私にとっては、
    松本先生が心療内科でもあったので、1年間で精神的にも落ち着いていきました。

     2006年4月 首から肩にかけてだるくて疲れる日が続きました。でもお灸と鍼で乗り切っていきました(血沈76、CRP0.76)。しかし体調も落ち着いてきて、日常の生活にはほとんど支障がなくなりました。ただ時々、右足の甲が痛みました。お灸を足に集中的にしました。私の鎮痛剤はこのお灸だけです。

     9月 血沈27、CRP0.33、RF64 検査の数字は正常値にはまだまだだけど、本人はいたって元気です。(アトピーはすねだけに出てます)

     12月に入ると首、肩の重い感じも取れて、足の痛みも弱くなり、起床時も
    さっと歩けるようになりました。あたりまえのことがこんなに嬉しいなんて・・・
    そう思っているうちに2007年が明けました。

     1月に予定していた大阪行きが、仕事の都合で休めなくなったり、長男の
    結婚が決まりバタバタしていたら、大阪行きが2月になってしましました。
    松本先生すみません。最近体調が良くて、時々薬を飲むのも忘れてしまいます。それでもお灸は主人から率先してしてくれるので、なんとか頑張ってます。
    もう1度気を引き締めるために、松本先生の理論を読み返しました。
     
    私はリウマチの他に、子宮筋腫も持っています。その為、毎月の生理の量も多く、3週間止まらないこともあります。以前は生理痛もひどく、鎮痛剤もかなり長く常用していました。今はそれも漢方で鎮めています。薬を飲むストレスもなくなりました。まだまだ数字は正常値には戻りませんが、私自身が普通の生活ができる事、仕事も辞めずに続けられることが嬉しくて、ここまで私を元気にして頂いた松本先生にとても感謝しています。
     
    これからも漢方治療で頑張って、いつかはきっと松本医院を卒業したいと思っています。それまで、よろしくお願いします。

     最後に、今まで生きてきた中での素晴らしい出会いを挙げるとすれば、それは主人と2人の子供達と松本先生です。

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