「私のアレルギー(リウマチ)」T.S.45歳

石川県小松市

2004年1月18日

 これまでに、自分が正しいと思う理論に従って、病気を治療された経験がありますか?

松本先生の治療を始めるにあたって、一番嬉かったことは、病気の原因、治癒過程などがはっきり示されていたということです。さらに「自然後天的免疫寛容」の理論が、原因不明の病気になり、治るかどうかわからない治療を、一生続けなければならないかもしれないという不安から、解放してくれました。「戦わせるだけ戦わせて、終結させる。」という先生の治療は、抑え込むことが主流である西洋医学とは違います。私にとっても、眼からうろこでした。自分の体質がどういうものであり、何をしていいのか、何をしてはいけないのかがはっきり理解できたことは、私にとって、一番の財産となりました。自分がよくなっただけでなく、子供達(アトピーでお世話になっている息子もいます。)、そしてその子供達(多分アレルギー体質を、受け継ぐことになるでしょう。)へも、ずっと伝えて行けるからです。これからは代々、アレルギーは怖くないのです。今の時代においては、すごいことです。周りは、アレルギー患者だらけなのですから。インターネットで、この理論を無料で勉強できたのですから、丸儲けと言っても過言ではありません。

患者にとって、心の支えとは何でしょう。家族の励まし、それはもちろんです。でも一番は、本当に治りたいという気持ちと、納得のいく治療だと思います。例え時間や苦痛を伴う治療であっても、自分が正しいと信じられる理論に基づいたものならば、続けられると思います。私にとって一番の心の支えは、「リウマチの革命的根本治療法」であり、「教授からではなく、患者から学ぶ」という先生の言葉でした。そしてたくさんの患者さんの手記にも、助けられました。自分と比較できるデータがあることは、とても励みになります。

松本医院に通ってから9ヶ月、私の身体は、随分良くなりました。好きなスポーツも、少しずつ始めています。当初の思いよりも、早い復帰です。まだ完全ではないので、ムリはできませんが、一つずつ制限が解けていくのは、楽しみなものです。

 

 

最初に気づいたのは、今年2003年1月頃のことです。

ソフトバレーをやった次の日に、手指がこわばり、足の裏が非常に痛く、朝、階段を下りるときにやっとという状態になりました。それでも日中は痛みもあまりなく、普段どおりの生活が出来たので、“いつもやらないスポーツ(普段はバドミントンをやっています。)をやって、違う筋肉を使ったからかな?”とか、“ボールで、軽い突き指をしたのかも?”と軽く考えていました。それでも何度かやるうちに、“そういえば、去年も、バレーでこんなふうになったなあ”と思い出し、“バレーは、身体にあわないのかもしれない。”と思い止めましたが、その内、左手の中指がソーセージのように腫れてきました。いやな腫れ方をすると感じながらも、4,5日で腫れが引くと、また普段どおりの生活です。そうして1ヶ月位を過ごしたでしょうか。相変わらず足の裏は痛み、幅の狭い靴が履きにくくなりました。手指も腫れはありませんが、包丁を使うことが辛い日もあります。ただ私の場合、それが毎日ではなかったのです。だからあわてて病院に行くこともなく、昨年同様、その内よくなると、高を括っていました。

ところが目眩(めまい)が始まったのです。鈍感な私も、さすがに心配になりました。そして自分の体調のことを、深く考えるようになったのです。まず、食欲不振、体重減少、倦怠感、目眩、これらのことが、痛みよりも気になりはじめました。不安解消のため、インターネットでいろいろ検索してみました。“痛風?違う。変形性関節炎?これも違う。リウマチ?ああこれだ!”私の症状の全ては、リウマチの症状だったのです。それまでいくら痛みがあっても“リウマチ”だとは全く頭にありませんでした。リウマチは、遺伝性の病気だと信じていましたし、自分の家族、親族には誰もいないからです。“なんでこんなものになってしまったのだろう!”と不思議でした。取りあえず、確かめるため整形外科へ。

先生に、一通りの症状を話したところ、リウマチの診断7項目を見せられ、「あなたの場合、3つは引っかかっているので、後一つ、血液検査に異常値が出たら、リウマチの診断がつきます。」と言われました。「レントゲンには、今のところ、リウマチによる変形は見られない。」とのことでしたが、一週間後の検査結果を、待つことになりました。

結果、RF116。「このまま何もしなくても、治る場合もあります。でもあなたの場合は、確実に悪くなるでしょう。」そう言われ、がっかりしましたが、それよりこたえたのは、看護師さんがうつむいてしまったことです。“これはヤバイことになった”と不安でした。先生は、「今の状態では、まだ治療を始めるには早すぎるから、止めておこう。症状が大きく変わるまでは、来なくていいから。」と言われました。「スポーツは、続けていいですか?」との問いには、「痛まないようだったら、何をしてもいい。制限はない。」とのことでした。

“養生しなくていいということは、今のうちに、好きなことをやっておけということかも”と、暗い気持ちで帰宅しました。でも、悪くなるのを待つだけの日々なんて、堪りません。やっぱり専門医の所に行かなくてはと、今度は、リウマチ科の標榜のあるクリニックへ行きました。でも、ここも同じです。やはり7項目を見せられ、血液検査を待つことになりました。

結果はわかっているので、ここからの一週間は、必死になって、インターネットで検索し続けました。それでも入ってくる情報は、ロクなものではありません。“なぜこうなってしまったのか?”“どうしたら治れるか?”など、私の疑問にはっきり答えてくれるものは、何もありません。私の中で、「リウマチ→倦怠感→激痛→歩行困難→ステロイド→ムーンフェイス→障害者認定→寝たきり」などという言葉が、図式になっていく毎日です。中でも“自助具”(使っていらっしゃる方には申し訳ありません)。これには打ちのめされました。食事をするために、指を広げるベルトのようなものや、スプーン、歩行補助など、生活のための道具です。それと“リウマチとうまく付き合う”という言葉、あちこちで見つけました。結局は普通の生活はあきらめて、囲いの中で暮らせということです。“今後、どれだけの制限を受けて生活することになるのだろうか、訳のわからないままに障害者になってしまうなんて、冗談じゃない!”どうしても納得できません。“何かあるはず!”と奮起し、松本医院を探し当てたのです。

夢中で読んだ松本先生の理論は、全ての私の疑問に答えてくれました。まず、リウマチが、アレルギー疾患であるということ。だからアレルギー体質の私には、充分有り得る病気だということ。次に、原因は、今までに使ってきたステロイドや抗アレルギー剤にも関係するのではないか、ということ。さらには、治療方法、そして何より「治る」という事実。ただ万に一つの“治る”幸運を待つのではなく、リウマチとうまく付き合っていくのでもなく、完治のために治療できるのです。

そして、リウマチにかかっている知り合いについて、考えてみました。まず友人、彼女は鼻炎も持っています。他の友人の母、変形するだけした後、リウマチは治まり、かわりに喘息が出ています。その他、喘息と体中の痛みを繰り返している人、皮膚疾患とリウマチを繰り返している人など(よく見渡してみると、リウマチ患者は、案外多いのです。)、みんなリウマチ以外にも。アレルギー症状を持っていると気づいたのです。私には。喘息とアトピーを併せ持つ息子がいるので、喘息とアトピー、鼻炎などが同じ部類に属し、どちらかが楽になる時は、どちらかが重くなるというシステムについては分かっていましたが、リウマチがその中に入るということは。全く知りませんでした。理論を読み、手記も読み、ここしかないと思いました。

もちろん、家族には了解を得ましたが、職場の方達にも、リウマチになってしまったこと、松本先生の理論のこと、治療中は、今まで使ってきた薬物の影響でリバウンドがあり、迷惑をかけるかもしれないということなどを話しました。それでも、「是非とも行くべきだ。」と後押ししてもらえたことを、とても感謝しています。西洋医学だけでは治らないことや、重症のリウマチ患者の悲惨さを知っている方は、特に押して下さいました。

さて、検査の結果を聞きにクリニックへ。結果、RF113、膠原病もプラスとのこと。

今度は、がっかりくることもありません。さらに、この先生も良心的な方で、「数字は高いですが、今のあなたの痛みでは、まだ治療に踏み切ることはないでしょう。運動も出来ているようですし。ただ最近は、早い段階から、治療を始める方がいいと言われていますので、痛みがひどくなったら、すぐに来てください。でも、自然に治ることもありますから。」と笑顔で、薬の処方もありませんでした。

その晩、バドミントンの仲間に「長期に離脱します。でも絶対に戻ってくるから。」と約束をして、2日後、松本医院へ向かいました。

 

2003年3月30日 電車で2時間半。

松本先生と対面。先生の第一声は「あんた若いなあ。独身か?」でした。「子供が3人います。」と答えると「そうか。(私の勤め先を見て)こんなところに勤めていて、何でここに来た?」と聞かれました。「先生の理論を読んで、周りのリウマチ患者は、他のアレルギー疾患も持っていると気づいたからです。」と答えると、松本先生は、「開業して以来、ここに座って、最初からそう言った患者は、初めてや。」と大層喜ばれ、ご機嫌でした。病歴や、二人の整形外科の先生の診断を話し、リウマチ治療は、松本医院が初めてだとわかると、「いい先生に当たってよかった。こんな患者は少ない。」と、またまた喜ばれましたが、今までの他のアレルギー治療の影響は、必ずリバウンドする、とのことでした。それと私の場合、10年ぐらい前にした膝(半月板切除)の手術も、原因なのだろう、と言われました。

納得。いろいろ辿ると、10年程前から、関節の痛み、寝起きの異常な身体のこわばりなど、少しずつリウマチが進行していたように思います。かわりに、花粉症の症状がなくなり、春先でも顔がかぶれたりすることが、少なくなってきました。“花粉症が治ったかも”と、薬を飲む友人達に自慢していたのに、甘かった。出場所がかわっただけのことだったのです。

幼いころから疲れやすく、張り切りすぎた翌日には、よく寝込んでしまう子供でした。いくら運動しても、体力がつくことはなく、逆にどんどん消耗していくのを感じながら、スポーツも続けてきました。ただ年とともに、自分の体力を加減しながら生きることを覚えたので、人並みにやってこられたと思っています。多分、子供の頃から、膠原病の気はあったのでしょう。今になれば、納得できます。ただ、症状が分散されていたために、検査をすることもなく、ステロイド治療も、それ程受けずに済んだのです。幸運だったと思います。私がインターネットに通じたのは、2年程前からで、それ以前では、松本医院を知る手立てはなかったのですから…。

松本先生に、アトピーの息子がいることを話しますと、「その子も、このお風呂に入ると、必ずリバウンドします。いずれ、あなたにも必要になるから。」と、赤い塗り薬や、感染症予防の塗り薬を頂きました。

その晩から、漢方薬、お風呂の治療が、はじまりました。

1日目 入浴中に、目眩や吐き気まで起こしてしまいました。これだけは、止めさせてもらおうと思いました。鍼治療の後、すでに熱っぽくなっていた体がだるく、足の指、甲が、とてもかゆくなりました。もうアトピー?ちょっと早すぎますね。

2日目 息子の身体に、変化が現われ始めました。やっぱり、お風呂治療は、続けなければなりません。もともと行水風呂の私にとって、お風呂治療に慣れるまでには、かなりの時間を要しました。これが、一番つらかったかもしれません。

4日目 仕事中のことです。急に、血液が体中に巡っていくような感覚が、起こりました。足の指先まで、血液が流れ込んでいくようでした。不思議な高揚感があり、自分が何でも出来るようになった気分です。これが数時間続きました。もう免疫寛容を起こしたのだろうか?でもやっぱり早すぎるか、と思いました。

その後1ヶ月間、鼻水、咳、目やに、微熱、痒み、関節の痛みなど、私の身体は、アレルギーのデパートでした。一偏に出ましたが、それぞれのどれか一つが強いわけでなく、満遍なく出てきた状態です。

そして2ヶ月目、症状は、関節の痛みと、身体の痒みに、限定されるようになりました。足の関節、特に手術した膝が、一番腫れました。一番熱心にお灸をしたのも、この場所です。それまで、膝は、痛みが全くでていない部分だったのですが、やはり先生のおっしゃるように、リウマチは、ここから始まったのでしょうか。曲がらず、寝返りもうてず、あちこちの関節も、徐々に腫れてきました。鍼治療も始めましたが、治療を受けた日は、必ず調子が悪く、痛みも強くなりました。そして右手首に、直径4p位の楕円形のアトピーが、うっすらと出始めました。結局は、これが一番強いアトピーになりました。今でも治っていません。3年ほど前に、右肘に、1本だけ打った痛み止め注射の影響かもしれません。息子のリバウンド、父の手術と、この頃が一番つらい時期でした。でもいつか治れるという気持ちが、前を向かせてくれましたし、息子の頑張りが、とても励みになりました。

3ヶ月目、顔に赤い大きな湿疹が、ポツポツ出始めました。今までに塗ったステロイド軟膏の影響でしょうか、痒みは全くないのですが、とにかく目立ちました。治る過程とわかっていても、顔に湿疹が出ると、落ち込みます。でも3週間程で、後も残さず、消えてしまいました。この頃から、徐々に痛みが楽になってきたように思います。

 

2003年6月30日

RF48 血沈は少しリバウンドして15になりました。

息子の世話や、父の看病をしながらも、私のRFは、半分以下になっていました。痛みも少しずつとれて、足を引き摺ることもありません。鍼には、週に一度程通いました。鍼の後の痛みは、まだ続いていましたが、痒みも出ます。

ある日、戸棚の整理をしていて、ビニールの袋を見つけました。中には、多種にわたるステロイド軟膏が、20個以上は入っていました。私の物も、息子の物もありました。もらったのはいいが、塗らずに、とっておいたものです。すっかり忘れていましたが、その他にも、今までどれ程のステロイド軟膏や抗アレルギーの飲み薬を、捨ててきたかわかりません。私は元より、絶対目に入れないようにと渡されたステロイド軟膏を使うのが嫌で、ほんの少しだけつけて、大方捨てていたのです。抗アレルギーの飲み薬は、大抵目眩を起こし、すぐに服用を止められるので、最後にはお断りしていました。(鼻炎の薬で、目眩を起こし、葬式の最中に倒れそうになったこともあります。)それでも、このリバウンドです。あれを全部使っていたら、とゾッとする思いでした。それと、痒がる息子の身体を掻いてやらねばならず、ほとんど熟睡することなく過ごしていた辛い何年かが、ここで報われたと思い、涙が出るほど嬉かったのです。息子に、そのビニール袋を見せると、ニッコリ笑っていました。彼は、いつも母にステロイド軟膏を管理されていて、自分では、決して塗らせてもらえなかったのです。今まで漠然とした母の不安だけで処理してきたことが、陽の目を見ることになりました。

何年間も伸びきらなかった左膝も、真っ直ぐに伸びるようになりました。手術のせいだと諦めていましたが、リウマチのせいだったようです。寒い日など、友達に「足、少し引き摺るようだけど、大丈夫?」と言われ、びっくりしたこともあります。自分では気づいていなかったのですが、両足のバランスが悪かったのでしょう。

 

2003年11月

私のRFは23、血沈は15です。

とても調子がよかったので、正常値になっているかと期待していましたが、階段(上から3段目)から落ちてしまったことがいけなかったのでしょう。体中の筋肉や、大腿骨、尾骶骨が痛み、リウマチまでもどったような気がしました。特に大腿骨の打ち身がひどく、直径10cm以上の蒼痣(あおあざ)が出来てしまいました。消えるのに、何ヶ月もかかると思っていましたが、2週間程で、全部消えてしまったのです。その消え方が雲が流れていくようで、毎日、楽しみに観察していました。本当に、漢方薬の再生力はすごい!そのために、身体も消耗しているのでしょうか、いくら食べても太らず、とにかく眠い。

10月頃から忙しくて、鍼治療を休んでしまいましたが、やはりよくありません。痒みが退いてしまいました。全てが停滞してしまったように思います。松本先生にお聞きしたら、「楽になっても、完全に治ったわけではないから、鍼治療には行きなさい。」とのこと。今また、通い始めています。おかげで、痒みももどってきました。“漢方薬だけでは時間がかかる”という、先生の言葉どおりです。しばらくは、鍼治療も続けていくつもりです。

 

2003年12月

また調子がもどってきました。運動も少しずつ増やし、バドミントンにも通っています。まだ以前ほどは出来ませんが、制限された生活を、一生送るのかと怯えていた8ヶ月前とは、大きな違いです。

いつ免疫寛容が起きたのか、正確にはわかりませんが、治療4日目依頼、あれ程の高揚感は、一度も起こっていません。足の指先まで血液が流れ込むような、不思議な感覚は、あれ以後も何度かありましたが、私の身体は、4日目に、大きく変わったのではないかと思います。それでもまだ様々なアレルゲンに対して、全て基準値になったわけではありません。今後も、少しずつ認識させていかなければなりません。そして、今現在のアレルゲンに対して全て認識し終わった後も、今後の環境を考えると、新たなアレルゲンが出現するでしょう。それでも、私の本来のアレルギーは、季節の変わり目に、指に湿疹ができたり、顔や肌のあちこちが痒くなったりする程度でしかなかったのですから、先生の言葉どおり、そんなもの病気だと思わなければいいのです。薬物で押さえ込まなければ、やり過ごせる程度のアレルギーに過ぎないのだと、今では思っています。

しばらくは治療が続きます。まだ治療中なのだからと、身体に言い聞かせながら暮らすことが、苦痛になってきました。良くなってきた、ということでしょう。

松本先生、すばらしい理論と治療を、ありがとうございます。おかげさまで、とても賢くなることが出来ました。感謝を込めて。