「リウマチと診断されて」越後美枝子 62歳

 千葉県

平成16年12月28日

 

今から10数年前、右手の人差指と中指の関節が痛み、腫れ始めました。仕事の入力作業で、指を使いすぎたかなと、軽く考えて、病院にも行かず、過ごしていましたが、しばらくすると、右膝も腫れ始めました。痛くて、歩くのも困難になってきたので、近くの整形外科で診てもらうことにしました。先生は、「膝関節炎ですよ。水を抜きましょう。」とおっしゃって、湿布薬を処方してくれました。水を抜いたすぐ後は、腫れがひいたのですが、2〜3日すると、また同じように腫れてきました。

病院に行くと、水を抜かれ、また腫れてきては、水を抜く、この繰り返しでした。膝の水を抜き、塩水で中を洗浄した後、薬を注入されると、膝は、重石をつけられたようで、歩く事ができませんでした。痛みがひどい事を伝えると、座薬と湿布を処方されました。

しばらく経っても、一向に良くならず、日々症状が重くなる私に、周りの皆が心配をしてくれて、他の病院でも診てもらうことにしました。10箇所ほど病院を廻りましたが、どの病院の治療も、膝の腫れた水を抜くだけでした。ある人から、「N大学病院で、膝関節炎が治ったから。」と紹介状をいただき、診てもらいましたが、やはり治療方法は同じでした。

ある時、新聞で、膝関節炎の治療に定評のある、J大学の教授の記事を読み、治るのであればと、この大学病院を訪ねました。この病院で、私は、はじめて「リウマチ」と診断されました。それまでは、どの病院でも、当然リウマチ検査は受けていたものの、数値は表れず、膝関節炎と診断されていたのです。「自分は、リウマチなのではないか・・・」と懸念はしていたものの、断言されたこの時は、かなりショックを受けました。治療は、リウマチの治療に変わり、痛み止め、胃薬、湿布薬を処方されました。膝の水を抜かなくて良くなりましたので、少しホッとしました。

私の住んでいる所から、J大学病院へは、車で片道2時間もかかりました。2年間程通院を続けましたが、私の住んでいる千葉県内に、リウマチ専門医が開業しましたので、先生に相談し、病院を移ることにしました。移った医院では、月に2回、シオゾールを注射し、J大学病医院と同じ痛み止めと、胃薬を処方されました。

何回か治療を受けているうちに、熱が出て、具合が悪くなってしまいました。私にはシオゾールが合わなかったようで、アザルフィジンに変更になりました。検査の数値は、一時的に良くなりましたが、しばらくすると、又数値が上がり始め、先生に、「ステロイド剤を、1日2mg飲むように」と言われました。ステロイド剤の恐ろしさは、噂に聞いていましたので、「できるなら、飲みたくない。」と言ったところ、「2mgくらいなら、副作用はないですよ。飲みつづけてください。」との事でした。先生にそう言われても、飲むのに、なお抵抗はありましたが、飲むと、少し調子が良かったため、量を自分で調整しながら(調子の良い時は、3/4程度に錠剤を減らして)、ほぼ3年飲み続けました。

膝関節の痛みに耐えられなくなった頃、先生に、人工関節の手術を薦められました。リウマチの治療を続けていても、結局、絶対完治する事はなく、一時的に進行を遅くし、痛みを抑える治療しかないのだと言う事、実際は、だんだん薬を強くしても、進行を止められないばかりか、リウマチによって冒されてしまった関節は、人工関節で代用するしかないのだという事を、改めて実感し、愕然としました。

しかし、この当時、膝の調子は非常に悪く、「仕方がない。痛みが取れるなら。」と、気は進まないながらも決心し、手術のために入院しました。入院してから、患者さんや手術担当医から、人工関節について、色々な話を聞きました。人工関節について、詳しく知れば知るほど、不安はどんどん膨らみ、手術日が迫っていたのにも関わらず、最終的に、どうしても決心がつかず、手術をお断りして、退院しました。

退院後、「本当に、リウマチは、不治の病なのか?他に治療方法があるのではないか?」と、毎日悩みました。そんな時、娘が、インターネットで、松本医院のホームページを見つけ、プリントアウトして渡してくれました。私は、その内容を、何度も何度も読みました。松本先生の理論は、難しく、理解できない事も多くありましたが、患者さんの手記を読んだ時、「この先生なら、治してくれる。」と、大きな希望が湧いてきました。

それから2日後、私は、松本医院に向かっていました(2003年1月19日)。車で8時間かかりました。やっと松本医院に着いて、ホッとしたのもつかの間、階段を見て、二階まで上がれるか不安になりました。その頃の私には、たかが2階までの階段が高く、大変きつくて、とても登れないと思ったのです。大阪まで来たのだからと、何とか後ろを押してもらい、ようやく入り口に立つことができました。待合室に入った時、何故か、今まで感じた事がない安心感を覚えました(充満していた、漢方薬の香りのせいでしょうか?)。

緊張しながら、初めてお会いした松本先生は、今まで私が受けてきた治療が、間違いであったこと、長い年月、無駄な治療方法を受けてきたのだということを、自信にみなぎった言葉で、お話してくれました。そして「リウマチは、不治の病ではない、必ず、治してあげるよ。」と、力強く握手をしてくださいました。そのときの嬉しかったこと、膝の痛みを感じてから今までの、辛い、辛い、長かった日々から抜け出せるのだと、光が見えた気がしました。治療方法の説明を伺っても、大変だとはまったく感じませんでした。治るのであれば、どんなことでもしようと決心していたからです。

初診を受けた帰路は、「大阪まで来た甲斐があった。本当に信じられる先生に、やっと出会えた。」と、痛みが和らぐ気がしたほど嬉しかったのを思い出します。

帰ってきてからは、お灸・煎じ薬・漢方薬のお風呂・鍼・・と、忙しい毎日が始まりました。それまで通っていたプールも休会し、1日の大半を、お灸に費やしました。治療を始めてから数日たった頃、まず、朝「目やに」が出始めました。1週間程経つと、入浴中に、口の中がピリピリするようになり、煎じ薬を飲むと、しみて、痛くなりました。体中の関節が痛み、微熱が続きました。あまりに辛い日は、お灸をするのも、お風呂に入るのも、苦痛でしたが、体調に合わせて続けました。

微熱は、かなり長い間続き、2月中頃には、39度近くの高熱が出て、不安になりました。松本先生に相談したところ、先生は、状態をよく聞いて、適切にアドバイスをしてくださり、「いつでも、電話してくれて良いから」と、緊急時の連絡先まで教えてくださいました。翌日、まだ熱が下がらず寝込んでいると、驚いた事に、松本先生から電話をいただきました。不安になっていた私は、先生のやさしい心遣いに、涙が出る程嬉しかったです。しばらくして、熱は下がりましたが、今思うと、それが最初のリバウンドだったのでしょう。この時から今日まで、小さなリバウンドは、何回も何回もきました。

その間、劇的な変化はありませんでしたが(実際には、寝返りさえできなかったのが、できるようになっていたり、寝ていても、あちこち痛かったのが、いつの間にか感じなくなっていたり・・今思えば、徐々に良くなっていたのですね。)、今年の3月の大きなリバウンドを期に、それこそ薄皮をはぐように、少しずつ痛みが和らいできました。

思えば、この頃から、やっと体中が痒くなりはじめました。心待ちにしていた、アトピーだったようです。今は、漢方薬と、途中から飲み始めたプロテイン(1日スプーン10杯)に加え、アミノバクトを飲んでいます。まだまだ痛みは残っていますが、確実に、痛みの質は変わってきています。

思い返すと、以前は、治療に対する不安や、体中の痛みで、気短になり、イライラしていました。今は、考え方も、前向きに変わってきたようです。家族からは、「昔のお母さんに戻ったみたい、明るくなった。」と言われるようになりました。

毎日のお灸も、今ではすっかり生活の一部となり、私も家族も慣れて、上手に早くなりました。最初は、手で、細く艾(もぐさ)をよることが出来ず、苦労しました。今は、小さなコルク板2枚で、効率良く艾(もぐさ)をより(コルク板を使うと、簡単に、細く、長く、よることができるのです。)、毎日平均1500個程のお灸をしています(織田先生には、「まだまだ」と叱られますが・・・)。

今は、微熱やだるさもなくなって、最近では、旅行にも数回行くことができました。松本先生と出会って、1年11ヶ月、どんなにリバウンドがひどい時でも、痛み止めや座薬が頭に浮かばなかったのは、不思議です。これも、松本先生や、織田先生をはじめ、皆様の叱咤激励のお陰と、心から感謝しております。

近い将来、松本先生から、「完治しましたよ。」という言葉をいただける日を楽しみに、引き続き、治療に専念していきたいと思います。今後も、よろしくお願いいたします。

 

<今までの検査結果>

 

検査日

CRP

RF

血沈

ZTT

03年1月19日

1.6

21.0

 

13.9

03年2月22日

14.8

14.0

58.0

10.0

03年5月17日

0.5

5.0

10.0

12.0

03年9月1日

1.0

5.0

26.0

7.5

04年1月24日

2.3

5.0

17.0

8.8

04年6月19日

5.3

5.0

40.0

10.8

04年11月13日

0.9

5.0

10.0

8.7